オレのわがままで、弟と一緒によみがえらせた母
よみがえらせた――
つもりだった母は、無残な姿で
オレの身勝手に巻き込まれた弟は、すべてを奪われ――
今は魂だけを鎧に宿らせ、食べることも眠ることもできず
身体の感覚すらない
オレ自身は左脚と――
弟の魂を練成するために引き換えにした右腕
ソレダケジャ、マダ、タリナイ
それは
まさに
悪夢――
罪と罰 ―INNOCENT SIN and ETERNAL PUNISHMENT―
「何だ、これは」
そう言って彼は、机の上に紙の束をばさりと置いた。
イスに腰掛けている黒髪の軍人は、イーストシティにある東方司令部勤務のロイ・マスタング大佐である。
「今回君が請け負った任務は二つだ。この報告書では半分にしかならない。
それに、予定より二日も遅れている」
ロイの漆黒の瞳が机上から前方へと移される。それは机の向こうに立つ奇妙な二人組みを捉えた。大きな鎧をまとった人物はオロオロと慌て、金髪の小柄な少年は黙したままそっぽを向いている。
「どうした、鋼の。弁解も無しか?」
「言ったら、言い訳するなって言うつもりだったんだろうが」
ぽつりと言い返したのは、深い金色の髪を後ろで三つ編みにした少年――
『鋼』の二つ名を持つ国家錬金術師、エドワード・エルリックだ。
髪と同色の瞳に、あからさまに不機嫌な色を宿して上司をにらみつける。
「ほう、わかってるじゃないか」
少年の鋭い視線を受けつつ、ロイは事も無げに言う。
目の前にいる少年はまだ15歳。自分より14歳も年下の、言わば子供だ。
だが組織に属している以上、年齢は関係ない。任務として調査や視察に行けば、その報告書の提出が義務付けられているのだ。
「言うまでも無いことだが、国家錬金術師は軍の狗だ。軍属である以上、ルールは守ってもらわないと困る。
たとえ、小さな子供と言えどもだ」
「……」
ロイの嫌味に反応の無いエドを見た二人は驚愕した。
背の低さを気にしているエドが、“小さい”という言葉に反応しないなどありえない。
いつもであれば怒鳴り散らして、大佐相手と言えど掴みかからんとする勢いで怒るはずなのだが……。
確かに、エドが執務室に入ってきた時からロイは少し気になっていた。
瞳に宿る彼の意志の強さを表す光はいつもより弱く感じる。声にも覇気が乏しい。常日頃、有り余るほどのパワーを振りまいていると思わせるほどの彼が――。
ロイに見つめられ、エドはふいと視線を外した。
「ちょっと、兄さん……」
鎧に心を宿す少年、アルフォンス・エルリックが兄を諫める。
ロイはすっと立ち上がり、エドに歩み寄った。
「どうした? どこか具合でも――
」
「――
っ、さわるな!」
パン、と高く響く音。
ロイとアルは眼を見張った。エドに触れようとしたロイの手を、エドの機械鎧の右手が払いのけたのだ。
「あ――
」
エドは反射的に動いてしまった機械鎧の手を、自分の身体の横でぎゅっと握り締めた。 視線を落とした彼の口から、押し殺した声がこぼれる。
「明日中には、残りも提出する」
何かに耐えるようなその表情があまりにも辛そうで――
ロイは言葉を失った。
「あっあの、大佐……」
アルがおずおずと声をかける。
「兄さん、このところ体調が悪」
「アルっ! 余計なこと言うな」
「でも……」
「いいから」
エドは無理矢理弟の言葉を押し込めた。そんな二人のやり取りを見つめていたロイだが、やがて口を開いて言った。
「わかった、明日の夕刻が期限だ。いいな?」
アルは頭を下げて礼を言ったが、エドは眼を伏せたまま踵を返しドアへと向かう。
慌てて後を追うアルの姿がドアの向こうに消えると、ロイは執務室に一人立ち尽くした。
鋼の手にはじかれた痛みがまだ残る右手。見つめていたその手を、痛みを閉じ込めるように握り締める。
「ずいぶんと嫌われたものだ」
自分で言ったその言葉が、予想以上に痛く、胸に響いた。
足早で廊下を歩く兄の背中に追いつき、アルはエドの右側に並んだ。
「兄さん、やっぱり大佐に相談した方が……」
「バカ言うな。こんなこと知れたら絶対――」
エドは急に口をつぐんだ。前方を見るエドの視線を追い、アルはその理由を察した。
廊下の向こうから歩いて来るのは、明るい金色の髪を後ろにまとめた軍服の若い女性。胸には書類の束を抱えている。
凛とした印象を与える彼女の表情が、二人の少年を見るなり、ふっと和らいだ。
「あら。エドワード君、アルフォンス君。帰ってたのね」
「こんにちはホークアイ中尉」
立ち止まって挨拶をするアルとホークアイの横を、遠巻きに大きく回りこんだエド。 不審に思うホークアイに、軽く会釈をしただけで無言で通り過ぎる。
「ちょっ……兄さん! 中尉、ごめんなさい。失礼します!」
アルはぺこりと頭を下げて角を曲がって見えなくなったエドの後を追いかけて行く。
ホークアイはあっけに取られて二人の姿を見送った。
イーストシティでいつも利用している宿に着いても、エドは黙ったまま。
ベッドに腰掛けて、生身の左手をじっと見つめている。
壁際に座ったアルは、そんな兄の様子を心配そうに見つめていた。
「ねぇ、兄さん?」
「……」
「調べてもわからなかったんだ。きっと、ボクたちだけじゃどうにもできないよ」
「……」
「大佐なら何かいい方法とか手掛かりとか、知ってるかも知れないし」
「ダメだ。あいつにだけは――知られたらきっと、オレはここにいられなくなる」
座ったベッドの上に右足を上げ、そこに肘をつくようにして機械鎧の手で頭を抱えた。
吐き出したその息は、かすかな震えを帯びている。
アルはそんな兄の様子に居たたまれなくなり立ち上がった。
「アル……?」
呼び止める不安げな声に、アルは戸口で振り返った。
「兄さん、昨日もほとんどゴハン食べれてないだろ?
もうすぐお昼だし……前に見つけた美味しいパン屋さんのパン、買ってくるから」
努めて元気に言うと、エドが止める間もなく飛び出して行った。
ちょうどその頃。
リザ・ホークアイ中尉は書類の束を胸に抱え、上司の執務室を訪れた。
許可を得てドアを開けた彼女は、一瞬動きを止める。
その様子に、机に向かっていたロイが尋ねた。
「どうした? ホークアイ中尉」
「それはこちらのセリフです。この世の終わりのような顔をされてましたよ」
「……そうかな」
とぼける上司の前まで行き、ホークアイは手にしていた書類を彼の前に積み上げてゆく。
「ついさっき、エルリック兄弟とすれ違いましたが――」
エルリックと聞いてロイがわずかに表情を動かしたのを、見ぬふりで続ける。
「何だか、様子が変だったんです」
「兄の方は、ずいぶんと静かだったろう?」
「また大佐がいじめたんですか?」
「……人聞きの悪い。
それではまるで、私がいつも彼をいじめて楽しんでいるように聞こえるぞ」
「ええ。そのように言いましたから」
「……」
ミもフタも無い。
「冗談はさておき」
彼女はそう言ったが、真顔で言われたのでは冗談に聞こえないのだ。
「エドワード君、人を避けて歩いているようでした」
「何?」
「すれ違う人たちとかなり距離を置いて、避けたり立ち止まったりしながら帰って行きましたよ」
「……そうか」
「あ。今、自分だけじゃなかったと思って安心しましたね」
「なっ……」
図星を突かれたロイは、思わず腰を浮かせかけた。
たった一言しか口にしていないのに、何故わかったのだろう。
当の中尉は澄ました顔で「そのくらいはわかります」とか言ったりしている。
そんなに顔に出ていたのか、それとも彼女が特別見抜く力を持っているのか……。
その時、ドアを遠慮がちにノックする音が聞こえた。
ロイは話が逸らせることに内心胸をなでおろした。
「入りたまえ」
ロイの声に、ドアが開く。姿を見せたのは話題に上っていた兄弟の弟の方だった。
「すいません、大佐。兄のことでご相談が――」
――数日前。
任務に訪れた旅先から、イーストシティに戻る最終列車に乗り遅れるかどうかの瀬戸際。先日司令部に「明日戻る」と連絡を入れたばかりで、乗り遅れるわけには行かなかった。
駅へと向かう道を、二人で駆けている途中のことだった。
エドの肩が通りを歩くガタイのいい男にぶつかったことで因縁をつけられ、足止めを食っていた。
「人にぶつかっといて、何だその態度はぁ! ゴメンの一言で済むと思っとんのか。あぁ!?」
いかにもガラの悪そうな大男は、肘から下が機械鎧の右腕でエドの胸ぐらをつかんで引っ張った。
小柄なエドは、つま先がやっとつくくらいの高さに持ち上げられる。
「兄さん!」
「っ……このっ」
アルが加勢するより先に、エドは機械鎧の右拳を振るうべく握り締める。胸ぐらをつかむ男の右腕に左手をかけたその瞬間、エドの手と男の腕の接点から発する光。
見る間にその男の機械鎧は、前衛的なオブジェさながらの奇妙な形に変貌した。
「なんじゃぁ、こりゃあ!?」
男はエドを放し、腕を押さえて叫んだ。
が、エドの口からも同じセリフが同じタイミングで発せられていた。
「に、兄さん! 自分でやっといて、それはないよ!」
すかさずつっこむアルに、エドは困惑の表情を向けた。
「オレじゃねーって! オレが手を合わせなかったの、お前も見てただろ!? 何で……っと!」
ヒィヒィわめきながらうろたえる男がぶつかってきて、エドは地面に尻餅をついた。
拍子に、後ろについた左手が発光する。
「どわっ!」
地面がメキメキと迫り出し、これまたなんとも形容しがたい抽象的な形の像が出来上がった。その像に背中を押され、前につんのめって手をついたエドの前にも、もう一体……。
道行く人たちが何の騒ぎかと人だかりを作り始める中、エドとアルは顔を見合わせた。
「これって、一体――?」
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